STRUGGLE in MY LIFE

小生は最近「人生とは何ぞや」と、よう考えるのであるが、
その答えがついぞ最近出た。踏ん切りもよく、スッキリと用を足せた。
人生とは、至極ベタではあるが「我が」との戦いなのである。
つまり、それは欲望と社会通念、怠惰と社会モラルの葛藤なのだ。
そん中でどれ程「我が」と対峙し、「我が」を客観し、
腐れ外道の、小心者で卑怯者の、小人物である自分を理解し、
成長させ、社会のルールやモラルに適応しながら、アホをさらすかなのである。


私は今、大学に通っているが、実にこのSTRUGGLE(もがき)ができん人種の、
多き事に非常に肝を冷やしている。
私の取り巻きにも、そのような歪曲平和主義者が、まま居る。
朝の7時まで、さして味も分からぬアルコールの類を飲み散らかし、
呑んじゃ呑ませ、呑んじゃ呑ませして、翌日のガッコーを無きものとする。
さらに「我輩は、10時間以上寝ないといかん体なのだ」だの、
「アチキは、朝が苦手でやんす」だのと言って怠惰の限りを尽くしているのである。
それでは、我がの人生を亡き者にしてしまうぞ、と警告こそすれど、
聞き入れる余地が無いが如く、私をツマラン人間視してくるのである。


そういう輩連中は、朝まで酒を飲む事の代償を見てみないフリをしている。
或いは、本当に見えていない。
朝まで呑みゃ、そりゃ次の日の生活はグズグズになる。至極当たり前だ。
そこで朝しっかりとガッコーに行くなら可愛いが、残念な結果になる。
こういう対極のものを見れん輩が、最近多い。実に、多い。
だから、彼らは「我が」と対峙できない。自分と葛藤できんのである。
そのくせ自分の事は他人よりもちょっと偉いとか、賢いとか、
物事理解してまっせ、しておまっせ。てな顔で近所を闊歩していやがる。
そういう輩に極めて多い共通点は「ウツ」「ビョーキ」にかかりたい願望だ。
意味のありげな、空洞ミュージックを愛聴し、傾倒し、心を患った感に陥る。
そして、拙者は心のビョーキで御座る顔をして、それを周知にPRするのだ。
ったく、本当に心を患ったらどうなるのか。知らしめてやりたいが、
本当に辛いし可愛そうなので、今は躊躇している。


楽しき事こそ良き事かな。そんな楽観は、人生にはない。
間違いなくそこには「ドヤ街のセイ病」のようなリスクファクターがある。
楽しき、の代償は、怠惰である。人生の墓場である。
そこにいくまでに心を病んだ気になって、そのうち人生崖っぷちになり、
どこから自分のせいで、どこから外傷なのか分からんまま、
人生の戦いを知らんまま死んでいく。
小生は、そういうのは、イヤなので、上記を自分に言い聞かせている。


そんな事はどうでもよくて、昨日、眼科にコンタクトを作りに行ったときに、
メチャかわいい看護婦(と眼科でも言うのか?)がいて、たまらんのである。
今は、あの美女の素性が知りとうて、夜も眠れず、もがいておるのである。